遍照寺縁起
醫王山延壽院遍照寺と号する。貞観十八年(西暦876年)開創。開基は弘法大師の甥であり十大弟子でもある真雅僧正と伝えられるが、その後兵火に罹り記録を焼失したため沿革等は不明に帰す。
文禄三年(西暦1594年)慶興法印により中興開山。但し、新編武蔵風土記稿には寛永十年(西暦1633年)賢海法印が中興したとある。往昔は峰岡町にあったが(現在のイオン天王町店は境内の一部だった)、天明五年(西暦1785年)本圓法印により現在の地に建立した。それが今の本堂である。
本尊は薬師瑠璃光如来。寄木造坐像で高さ二尺八寸。延暦二十三年(西暦804年)弘法大師の作で御室仁和寺喜多院の本尊と同木同作と伝わる。もとは佛向村山崎寺金堂(現在の保土ケ谷区仏向町。一説には浅間寳寺金堂)の本尊であったが、鎌倉兵乱のみぎり平氏の落人を匿った故、堂舎一宇残らず焼き払われたが、本尊は火炎の中より跳び出でて前の川に去り給った。その日から川の流れが光り輝くようになり民衆が恐れおののいていたところ、一人の老僧が現れ、尊像を抱え上げ遍照寺の本尊に奉じた、と伝える。